大判例

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東京高等裁判所 平成3年(ラ)505号 決定 1991年12月24日

抗告人

甲野春子

右代理人弁護士

柳重雄

相手方

乙川一郎

相手方

乙川二郎

相手方

丙沢夏子

右相手方ら代理人弁護士

揚野一夫

被相続人

乙川三郎

平成元年五月九日死亡

主文

原審判を取り消す。

本件を浦和家庭裁判所越谷支部に差し戻す。

理由

一本件抗告の趣旨及び理由は、別紙「抗告の趣旨」及び「抗告の理由」記載のとおりである。

二寄与分の制度は、相続人間の衡平を図るために設けられた制度であるから、遺留分によって当然に制限されるものではない。しかし、民法が、兄弟姉妹以外の相続人について遺留分の制度を設け、これを侵害する遺贈及び生前贈与については遺留分権利者及びその承継人に減殺請求権を認めている(一〇三一条)一方、寄与分について、家庭裁判所は寄与の時期、方法及び程度、相続財産の額その他一切の事情を考慮して定める旨規定していること(九〇四条の二第二項)を併せ考慮すれば、裁判所が寄与分を定めるにあたっては、他の相続人の遺留分についても考慮すべきは当然である。確かに、寄与分については法文の上で上限の定めがないが、だからといって、これを定めるにあたって他の相続人の遺留分を考慮しなくてよいということにはならない。むしろ、先に述べたような理由から、寄与分を定めるにあたっては、これが他の相続人の遺留分を侵害する結果となるかどうかについても考慮しなければならないというべきである。

ところで、記録によれば、被相続人三郎は平成元年五月九日死亡し、相続人は、被相続人の長女抗告人、長男相手方一郎、二男相手方二郎、二女相手方夏子の四人であること、三郎の遺産は、原審判別紙物件目録1ないし17の土地と18、19の建物であること、相手方一郎は、原審判認定のように、他の相続人と異なり、農家の跡取りとして、昭和二〇年三月以来三郎の農業を手伝い、その相続財産である農地等の維持管理に努めるとともに、晩年の三郎の療養看護にあたってきたことがそれぞれ認められるところ、原審判はこのような事実関係をもとに、相手方一郎の寄与分が七割を下らないものと判断し、前記遺産の相続税評価額の合計額五四六五万七四二二円の七割を引いた残額一六三九万七二二七円を四分し、その一(四〇九万九三〇六円)にその価格がほぼ合致する右目録1の土地(四一八万一〇四六円)を抗告人に取得させ、相手方二郎と夏子に対しては、同人らが遺産を取得しなくともよいと述べていることを考慮し、一郎をして、右両名に対し、各五〇万円を支払わせる旨を定めている。けれども、このような寄与分の定めは、抗告人の遺留分相当額(約六八三万円)をも大きく下回るものであって、一郎が三郎の遺産の維持ないし増殖に寄与したとしても、前認定のように、ただ家業である農業を続け、これら遺産たる農地等の維持管理に努めたり、父三郎の療養看護にあたったというだけでは、そのように一郎の寄与分を大きく評価するのは相当でなく、さらに特別の寄与をした等特段の事情がなければならない。しかしながら、原審判には、その判文上からもそのような点を考慮した形跡は少しも窺われないから、原審判は寄与分の解釈を謝ったか、あるいは理由不備の違法があるものというべく、本件は、改めて右の点をも考慮した上で寄与分を定め、遺産を分割すべきものといわなければならない。

なお、相続財産が主として農地など農業経営に必要な資産である場合、永年農業経営の維持継続に尽力してきた相続人に対し、その寄与分を考慮することは十分考えられるところであるが、寄与分は相続人間の衡平を図るために設けられた制度であるから、農業経営の近代化、合理化に資する途であるからといって、農業経営の承継者のみを格別に扱うことは、その制度の趣旨にそぐわないものといわなければならない。

そうすると、原審判は、その余の点について判断するまでもなく取消を免れず、本件はこれを原審に差し戻すのが相当である。

三よって、原審判を取り消し、本件を浦和家庭裁判所越谷支部に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官千種秀夫 裁判官伊藤瑩子 裁判官近藤壽邦)

別紙抗告の趣旨

原審判を取り消し、本件を浦和家庭裁判所越谷支部に差し戻すとの裁判を求める。

抗告の理由

第一 原審判は相続財産について「維持し保存することができたのは、一郎が農業の後継者として妻すいとともに長期間にわたって営農に努めたからであった。」として、相手方乙川一郎の寄与分を七割と定めているが、七割の寄与分は著しく過大すぎるものであって、極めて不当なものである。

1 相手方一郎が営農に努めたとしても、それは単に相続財産の「維持」に努めたものにすぎず、財産それ自体増加されていないものである。相手方一郎の営農努力によって、相続財産が増加したのであれば、いざ知らず、単に維持してきたものに過ぎないのであるから、その寄与の割合は、さほど高割合のものではありえない筈である。

抗告人甲野春子は、被相続人三郎から何らの資金も特別受益も受けることなく、独自に生計を維持してきた一方で、相手方一郎は、農業の後継者であるといっても、逆に親の財産を利用して自らの生計を維持し支えてきているのであって(自らの住居も親の財産である家屋敷に住んで来た。従って住居に関する苦労は一切していない。)、被相続人の相続財産から多大な利得も得て来ているという側面も存在する。このような点を考えると七割というあまりに高割合の寄与分の認定は、著しく不当であって、戦前の家督相続制度と同じ結果をもたらすものであると言わなければならない。

2 被相続人三郎は、つい最近の平成元年五月九日死亡したものであり、相手方一郎が、農業後継者として営農に努めたとしても、被相続人三郎の補助として行ってきたものにすぎない。被相続人三郎は高齢に達していたとしても、死亡する直前まで、自らも農業に従事していたものである。したがって、相手方一郎のこの点での農業についての寄与、財産維持に関する寄与もさほど高割合のものではありえない。

3 民法九〇四条の二第二項で寄与分について「寄与の時期、方法及び程度、相続財産の額その他一切の事情を考慮して寄与分を定める。」と規定しているが、法は具体的な算定方法は定めていない。寄与分をどのように評価、算定するかは、法の規定する事項を総合して、合理的に判断すると言わざるをえない。結局、相続財産の額全体を基盤に、その人の寄与の程度を評価して決めて行くことになるが、立法過程では、寄与分の上限を設けて、他の相続人の遺留分は侵害できない。すなわち、遺留分相当額を超えて寄与分を主張できないとか、それと同じ趣旨で相続財産の二分の一を限度とするなどと言った理論が考えられていたが、最終的な立法では、結局、そのような制度は設けられなかった。その理由は、理論的には、遺留分と寄与分とは別個のものであるから、遺留分で限界を画するのはおかしいという考え方で上限を設けないことになったものにすぎないのであって、実際の審判例でも、従前二分の一を超える寄与分を認定した例は全くみられなかったし、その後の運用としても、遺留分を超える寄与分即ち二分の一を超える寄与分はあり得ないし妥当でないという判断のもとに、上限を定めずに立法されたものと思われる。一人の相続人が寄与分として相続財産の半分以上を取り、更に加えて本来の相続分を取得するというのは、どうみても妥当とはいえないからであって、憲法の平等原則に基づく戦後の相続法制を根本から崩壊させることになってしまうからである。

そして、現に、寄与分が立法化される以前はもとより、立法化された以後の寄与分に関する審判例のなかに、寄与分を相続財産の二分の一以上と認定したものは一つたりともみうけられないのである。

本件原審判は、この点で著しく不当であって、直ちに取り消されるべきである。

第二 原審判は、さらに遺産の分割に関し、以上の不当な寄与分を考慮にいれた上で、相続税評価額をもとに算定し、別紙物件目録1の土地を抗告人甲野に、その余を相手方一郎の取得とする旨定めているが、相続税評価額による算定は、現実の価格とは著しく異なることは明白であって、不当であることは明白であるばかりでなく、その財産割合を検討するにあたっても、現実とは著しく異なることは明白であって、同様にその不当性は明らかである。

しかも、抗告人甲野に対する分割分は著しく少ないものであって、この点でも原審判は直ちに取り消されるべきである。

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